ACTIVITY INTRODUCTION

活動紹介

ACTIVITY INTRODUCTION

活動紹介

〈イベントレポート〉世界を変える「ココロイキルヒト」の ”Being” 〜 世界最大の非営利団体「ゲイツ財団」での活動と人生の教訓〜 SENDAI SOCIAL INNOVATION NIGHT

世界を変える「ココロイキルヒト」の ”Being” 〜 世界最大の非営利団体「ゲイツ財団」での活動と人生の教訓〜 SENDAI SOCIAL INNOVATION NIGHT イベントレポート

 【イベント概要】

アメリカのシアトルから世界中に活動を広げている「ビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)」(以下「ゲイツ財団」)は、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツと妻メリンダによって2000年に創設された世界最大の非営利団体です。発展途上国の人びとの健康状態を改善し、最貧困といわれる状況からの自立を支援する取り組みで目覚ましい成果を上げている団体ですが、日本でその実態を知る人はあまり多くはないでしょう。

今回の「仙台ソーシャルイノベーション・ナイト」では、オンライン化で新たに可能となった「グローバル編」の第一弾として、そんなゲイツ財団本部唯一の日本人・馬渕俊介さんをお招きして、お話をうかがいます。

現在、同財団グローバル・ヘルス・プログラムのシニア・アドバイザーとして活躍する馬渕さんは、大学在学中に途上国支援を志し、JICAやマッキンゼー、世界銀行などを経て現職に就いた、世界で活躍する「ココロイキルヒト」の1人です。今回はそんな馬渕さんにご自身の経歴を振り返っていただきながら、現在世界最大の非営利団体で「世界で最も難しい社会課題」に取り組む中で得られた経験や日々感じられていること、さらには「世界での戦い方」についてお話いただきます。

 

馬渕さん: 初めましてよろしくお願いします。今日は3つお話をしたいなと思っています。

ひとつ目は、私のキャリアにとっても非常に重要な経験だった2014年から2016年に大流行した、西アフリカのエボラ出血熱対策、そのリーダーをやったときの経験を話します。

次にゲイツ財団という最大規模のソーシャルの団体がどういうふうに働いているのかということについてお話したいと思います。

それから最後に、私は15年ぐらい海外で働いていますが、その中で学んできた、世界での戦い方やキャリアの教訓について共有したいなと思っています。

ひとつ目の西アフリカのエボラ出血熱対策の話ですが、これは2015年に朝日新聞に載せていただいたときの記事です。西アフリカの国で大流行したエボラ出血熱対策に世界銀行が非常に重要な役割を果たしたんですが、そのチームリーダーをやらせていただいて、当時チームでも最年少だったんですけども、100人ぐらいのスタッフと一緒に対策にあたりました。

エボラ出血熱というのは、世界で最も死に至りやすいという恐ろしい病気と見なされていて、感染すると約半数が亡くなってしまい、生き残った人も非常に大きな後遺症に悩まされることが多いという病気です。

コロナとちょっと違うのは、発症した後に感染するのと、その人の体液に触れることによって感染するっていうところですね。

特に西アフリカで感染が拡大した大きな理由のひとつは、死者を洗って、そこに触れることによってお別れをするという習慣がありまして、エボラ出血熱というやつは、死んだ後に感染力が最大になることも相まって、感染が非常に大きく拡大しました。

それに対して医学的に安全な埋葬方法っていうのは、防護服を着た人が死者を消毒をして、誰にも触れないように、プラスチックバッグに入れて、そのまま焼却するというの方法なんですけれども、それは現地の習慣から全く受け入れられるものではなかったんですね。

そのため、家族が死んだ家族を隠したり、保健医療システムが機能していない国だったので、感染の防波堤になるべき病院が感染源になってしまって、病院に行くと家族が死んでしまうという認識をされてしまったことで、暴動が起きて、エボラの患者が解放されたり、あるいはエボラの危険性や防止の仕方を伝えるはずのコミュニケーションワーカーがエボラを広めているというような認識をされてしまって殺害されたりとか、非常にカオスな状況になりました。

そこで現地の人々に受け入れてもらえて、且つ安全なプロセスをWHOや現地の宗教指導者、コミュニティリーダーと一緒に考えて、これは安全でかつ社会的に認められる、必要なプロセスなんだということを彼らに説いてもらうことによって、この埋葬の問題を解決しました。

予測では感染者が140万人、死者は70万人と言われておりましたが、世界銀行やアメリカ、イギリスが入った2014年の9月ぐらいから、感染者数が急激に減り始めて、発症者は全体で3万人弱、死者は1万人程度に収まりました。

私の仕事の中でやったことのひとつは世界銀行という、ある意味巨大な官僚組織を走らせたことです。

世界銀行は今でもプロジェクトが開始してから資金を実際に現地に送るまで、平均で1年3ヶ月ぐらいかかるんですね。それを45日でやりました。

通常のプロセスでは全くできるわけがないので、マッキンゼーで働いたときに学んだプロセスのエンジニアリングを総動員して、外せるものは外す、平行できるものは平行にやる、後回しできるものは後回しにして、お金を出してからやるというようなことを徹底的にやって、こうやれば45日、あるいは30日で理事会承認ができるというのをシニアマネジメントに掛け合って承認してもらいました。

それからそのプロセス全てを可視化して、どういうふうにプロセスが進んでいて、どこで止まってしまっているのかを毎日全スタッフ100人位で見えるようにしました。そのことによってどこに集中的に問題解決をしないといけないかというのがわかりました。

それからこのエボラ対策の屋台骨だったのは、エボラワーカーと医療従事者へのリスク保証金をちゃんと支払うっていうことだったんですね。というのは、最貧国でサラリーをまともにもらえないような医療従事者が自分と自分の家族の命を危機にさらしている中で働くためにはリスク補償金をきちんと支払うということが当然の必要条件だったんですね。

ただそれは非常に難しいことでもあって、全く情報がないんですね。どんなヘルスワーカーがどこでどういうポジションで働いていて、実際に働いているのかどうかもわからない。

IDもなければ、銀行口座もなくて、地方の政府の役人に現金で払ってほしいと言われても、汚職が最も多い国のひとつである国でそれは当然できない。

そして支払いが遅れて、エボラワーカーのストライキが始まり、過激な例ではエボラ患者の死体を放置するという最も危険なことが起きたりして、支払いたいけど支払えない、どうするんだというような状況での意思決定を迫られました。

そこでやったことは、汚職対策機関やIT企業と一緒に全てのヘルスセンターに行って、その場でIDを発行してデータベースを作り、情報を得た上で支払う。二重に支払いを受けようとした人は逮捕したりとかいうこともしました。

そして実はキオスクのおじちゃんおばちゃんに注目したんですね。キオスクのおじちゃんおばちゃんは、銀行口座と現金を持っていて、繋がる携帯電話を持っているんですね。

そこでヘルスワーカー全員にSIMカードを配って、そのSIMカードに支払いの承認をSNSで送って、そのワーカーがSIMカードとIDをキオスクに持っていくと、キオスクのおじちゃんおばちゃんが自分の携帯電話にSIMを入れて、IDなんかを確認して現金を支払ってくれる。

そしてキオスクのおじちゃんおばちゃんには手数料込みで銀行口座に支払いをすることで、ほぼ全てのヘルスワーカーに支払いができる超ローテクのモバイルネットの仕組みを1カ月で作りました。

何でこんな話をしたかというと、対策を効果的に回すためのノウハウの中に、マネジメントの視点というか、顧客のことをしっかり考えて、この顧客に合ったソリューションを提供する、それから官民で問題を解く仕組みを作るという視点が社会問題を解くときに本質的な視点になるだろうなと思ってお話をしました。

それから2つ目のゲイツ財団についてお話をします。ゲイツ財団は、ビル・ゲイツとその妻メリンダが2000年に設立した財団です。予算が5000から6000億円という非常に巨大な財団ですが、その資金の財源は2つありまして、ビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツの個人資産と、世界最強の投資家と言われているウォーレン・バフェットの会社の株式ですね。

特徴的なのはビルとメリンダが亡くなってから10年後にこの財団が消滅することが決まっていることです。これは基本的な保健医療サービスが提供できれば避けられるはずの、例えば5歳以下の子どもたちが亡くなるようなことは、ビルとメリンダが死んでから10年以内に解決すべき課題だということで、それまでに解決すると言うコミットメントも含めてそういう仕組みにしているということです。

最後に私が今まで働いてきた中での教訓についてお話します。

グローバルな職場って英語が完璧なだけではなくて、論理、主張に秀でることがリーダーシップを取るための必要不可欠な条件であり、帰国子女でない日本人では全くチャンスはないといったイメージがあるのかなと思うんですが、これ結構違っていて、世界的に見ると、ほとんどの途上国とかなりの欧米の国っていうのは感情訴求型なんですね。

論破しても人は動かないし活動も続いていかないので、それぞれの人たちの状況を理解し寄り添って、彼らが自分たちで意思決定をしたり方法を変えていけたりするためにサポートすることの方がはるかに重要なんですね。

これは私のスタイルでもありますが、人々の感情を理解してそこに和をもたらすというスタイルは逆に重宝されて非常に有効なんですね。

欧米人がみんな論理や主張がもともとうまいというのは全く間違っていて、みんな苦労してますね。私の上司は、実は話すのが苦手で、それを克服するために演劇に通っていたり、私の部下はアメリカ人のネイティブですけども、コミュニケーションや主張をちゃんとすることに関して一生懸命取り組んでいたりとか、そんなに状況は変わらないんだと思うんですね。

日本人の勝ちパターンとして私の考えを図に整理しました。縦軸に強みとする力、問題解決力と感情に訴求する力ということで、横軸に明確なビジョンとかを示して意思決定をするストロングリーダー型と、いろんな意見を取り入れて、みんなを巻き込んで一緒に意思決定をしてサポートするサーバントリーダー型というリーダーシップのスタイルですね。

非常に単純化して言うと、欧米のスタイルは問題解決力を重視した上で、きちんとビジョンを示して意思決定をしていくというスタイルで、かたや日本はそれぞれの感情をしっかり理解した上で、みんなで意識決定をしていくスタイルなのかなと思っています。

結局両方必要だと思うんですけれども、左上のスタイルの人がですね、右下の能力を身に付けるって非常に難しいことだと思うんですね。

例えば私が問題解決力で武装して、その上で自信を持ってちゃんと意思決定をして進んでいくスタイルをスキルとして身につけることができれば、その統合型のスタイルになって、それが最強の日本人になれるんじゃないかなというふうに思っていて、個人的にそれを証明するために頑張っています。

 

最後にキャリアの人生の教訓について少しお話したいのですが、ひとつ目はやはり自分自身、あるいは周りの人々を見ていても、自分の人生は自分で作るものだと。その充実度合いっていうのはどのぐらい大きな志を持っていて、どのぐらい行動してるかというので決まるんじゃないかなと、この掛け算だというふうに実感してます。

自分の夢が定まらないとか、目標が定まらないということもあると思いますし、それは人それぞれだと思うんですけども、結局その夢とか目標、あるいはミッションっていうのは、実際にいろいろやってみて、行動してみて、失敗を重ねながらやっていくことでしか定まっていかない、その延長上に夢とかミッションが定まってくる、本当に行動することでしか定まらないだろうというふうに思います。

2つ目は、やっぱり人間っていうのは弱いものなので、環境以上にならないというか、環境が本当に人を規定するところがあると思います。難しい環境に身を置けばそれができるようになりやすいということも言えるかもしれません。修羅場をくぐることでしか、大きな成長っていうのはないのかなというふうに思います。

多分ほとんどの人はいきなりすごい環境が降ってくるわけではなくて、わらしべ長者的にこれができるようになって、そして次に進むということだと思うんですね。

例えば私の場合はJICAやハーバードからケネディスクールにいくことによって、マッキンゼーのような民間のトップ経営コンサルティング企業で働くチャンスも得ました。

当時の私の英語力からすると、東京室以外は無理だったと思うんですね。ただ日本語でノウハウを身につけた上で、海外で勝負をして、そこがものすごく大変だったんですけども、今は英語ベースでチームをリードすることになんの不自然も感じなくなったというような個人的な経験があります。

3つ目は、キャリアっていうのは自分全てで勝負するもので、ひとつの分野で世界一になることはほとんど無理と言えるかもしれませんけども、3つぐらいの分野をそれなりに深く掘り下げて、その掛け算で勝負するとその3つの能力を組み合わせて勝負できるのは自分だけになるってことはあり得ると思うんですね。

私の場合はゲイツ財団でお声がかかったのは、アフリカの保健医療システムに関して地に足がついた知見があると。その上でマッキンゼーで培った、ゲイツ財団が非常に重要視している戦略を作る能力がある。さらにゲイツ財団の非常に重要なパートナーである世界銀行で働いていたこと、その3つを掛け算できるというのは多分私だけだったと思うんですね。そういうオリジナリティで勝負をするということを考えています。

もうひとつはリスクに対する考え方で、ある人に馬渕さんはどうしてこんなにリスクを取っていろいろ動けるんですかと聞かれたことがあって、ある意味結構衝撃だったんですね。

どっちかというと私が考えてきたのは、現状にとどまっていることによってなりたい自分とか出したいインパクトがどこまでいけるのか、現状にとどまるリスクの方をよく考えていた、なりたい自分になれるかどうかというリスクをまず認識して考えてきたんだと思います。

最後に、革新を起こすのは20代の若者であったと。私はもう40代前半ですから、とっくにすぎてるわけですけども、このぐらいから、そういう目線でやっていかなければいけないし、時間が本当に足りないというか、今後のことを考えると時間が本当にない、そういう考え方で仕事していきたいなと、自戒を込めて最後にお話したいと思いました。

以上です。どうもありがとうございました。